僕が25歳の時に両親は別居する事になりその後、離婚した。
そして、
家族はバラバラになって、家庭は崩壊した。
実体験を踏まえて、
こんな夫婦は離婚する、こんな家庭は崩壊するという特徴をあげたいと思う。
あなたの両親や家庭環境で当てはまるものがあるとしたら、
同じような末路を辿る可能性があるかもしれない。
軌道修正をすることをお勧めします。
この事はとても自分の中で難しく、こっぱずかしく、悩みました。
深夜のテンションで思い切って書きました。そんな感じでございます。
目次
家族構成
まずはじめに、僕の家族構成について
- 父親
- 母親
- 姉(3歳上)
- 自分
- 妹(4歳下)
の5人でした。
父親について
簡単に言うと、考えの古い昭和の親父
仕事だけして小さい頃から子供たちとあまりコミュニケーションを取らなかった。
コミュニケーションを取るのが下手、結果そのような父親は家の中で孤立します。
父親なんてそんなもんだろうという感じだけど、
家の中ではパンツ一丁、屁も大きな音でする。
こういったデリカシーのない部分は女性陣に嫌われる原因になります。
嫌な部分ばかり言ったが基本的には、真面目な人なんだろうと思う。
当たり前だが一家の大黒柱として家族を養う為に
働く事に関してはきちんとしているというか頑張る人だった。
仕事はダンプの運転手だったが、朝は早い時なんか4時とかに起きるのが普通だった。
母親について
言葉遣いが汚く、タバコも吸い、女性としての品が無いなと感じてた。
僕はタバコを吸わないのでとても嫌だった。(父親も吸う)
それと年甲斐もなく若ぶったりする。
この若ぶる感じが息子から見ていて痛々しく、年相応でいてくれと思った。
仕事に関しては昼のパートと夜のパートを掛け持つくらい頑張る人なのだが
それが、夫婦の顔を合わせる時間を少なくし家庭崩壊が進んでいく要因にもなってしまうのである。
なんとも悲しい…。
夫婦間について
夫婦の会話はほぼ無し。
そして、ほぼほぼ喧嘩をしている。
たまにある会話は事務的な会話のみ。
仲が良かったというか、良好だったのは僕が中学生くらいの頃までじゃないかと思う。
友人の両親の仲が良い話なんかを聞くとそんな両親の元で育っていないので
驚きというかあまり想像ができない。
年齢は父親の方が上で年齢差は確か5歳くらいだった思う。
思うというのは僕が両親の年齢をきちんと把握していないから。
普通の人だったら両親の年齢はもちろん、誕生日も知っているのだろうが、
僕は興味が無いというか知らない。
そんなところからも自分の家庭が良い環境ではなかったのだろうなと感じる。
僕の性格もあるだろうけど、家庭環境が性格を作る部分はやっぱりあるわけである。
家族間について
女性陣達は仲が良い
女性陣対父親という構図ができあがっており、
父親は完全に孤立で誰にも相手にされない状態。
可哀そうかなと少しは思ったりするけど、
今まで自分がしてきた事や接し方などが招いたことなので仕方がないと思う。
全ては自分がした事が自分に跳ね返って来たことなので仕方が無い。
リビングにいるのは食事の時のみ
ずっと団地住まいだったが僕が高校2年の時に家を建てた。
それから約8年の間、その家に家族5人が住むのだが、
住んでいた8年間の後半は各自、自分の部屋にいる事が多くリビングにいるのは夕飯の時くらい。
家族がリビングにそろって談笑するなんて姿はこの家庭には無かった。
妹と父親
妹はとにかく父親を嫌っていた。
もう、本当、とにかく嫌い。
姉は思春期の頃、父親が嫌いという状態だったが
年齢を重ねるにつれて和らいでいった。
けれど妹は思春期に入り父親が嫌いモードに入ってから、
それからずーーっと嫌い状態のまま。
姉と違い、和らいでいく事はなかった。
僕と父親
妹は父親をずっと嫌いだったが僕も嫌いだしてからずっと嫌いだった。
隣の芝生は青く見えるのかもしれないけど、
友人の父親を見ると自分の父親と違うな~ということを感じていた。
なんで嫌いなのか?
と考えた時に、
僕がやっている事を認めてくれなかったという事がある。
スポーツなら野球というくらい考えが固く古い人間なので
僕がサッカーがやっていたことをあまりよく思っていなかったりした。
そんなのこともあって嫌いなんだと思う。
僕と母親
母親は僕がとても気にしてるコンプレックスの部分をデリカシーなくいじってくる。
それがとてつもなく嫌だった。
僕は頭がデカいことがコンプレックスだったが、
その事をいじられるのがとても嫌だった。
それと、
僕は年頃になると女性と話すことが苦手になってしまったのだが
それをいじられてメチャクチャ嫌だった記憶がある。
自分が年齢を重ねていくうちに昔は好きだった母親だが、
こうしたコンプレックスを度々いじられることや、
品のないところなど母親の事が段々と嫌いになっていった。
僕
20代前半の頃、引きこもっていた時期があった。
引きこもりの人間がいると家庭の雰囲気は悪くなる。
家の中の雰囲気が悪くなった事は、家庭が崩壊していった要因の1つでもあるかと思う。
引きこもっていた事に対して罪悪感の気持ちももちろんあるが、
そんな人間に育ってしまったのには少なからず育った家庭の環境の影響もあるかと思う。
子供たちの関係
姉と妹は女同士、仲が良く良好な関係。
僕と姉は仲が良いというか普通、今でもたまに連絡はとる。
僕と妹は昔から仲が良くなく、家庭崩壊後は連絡を一切とっていない。
共働きで夫婦はすれ違う
世の中には共働きの夫婦はかなり多いと思う。
僕の家も共働きの家庭だった。
家庭が崩壊する数年前は、母親は昼と夜にパートに出ていたのでさらにすれ違う事となった。
お金が無いから、働く時間を増やす。
そして、
すれ違いが増えていく。
なんとも悲しい負の連鎖である。
特に母親が父親を嫌っており態度は非常に冷たい。
出来れば会話をしたくないが仕方がなくするといった感じだった。
女性が一度嫌ってしまったらもう修復は無理なんだろうなと思う。
見ていて感じたのは、女性が生理的に無理って嫌がる感じの嫌がり方。
気持ち悪いみたいな、そんな感じの嫌がり方。
なぜに結婚したんだよと理解ができない。
その結果、
その間に産まれた僕の命とは一体なんなんだろうか?
と、思い悩む羽目になるのである…。
家庭環境、基本的に貧乏
家は基本的に貧乏で僕が高校2年くらいの時まで団地住まいだった。
小さい頃から何かにつけて、「金が無い、金が無い」と、
貧乏である事が夫婦げんかの原因となっていた。
それによって自分の家は貧乏なんだという事が頭に刷り込まれていた。
後に知るのだが、親戚に借金をするくらい貧乏だった。
お金が無いというのは精神衛生上とても良くなく家庭の中が荒む原因になる。
家庭が崩壊するまで
基本的にお金が無いので家庭の雰囲気は荒んでいた。
さっきも言ったが僕は20代前半に引きこもっていた時期もあり、
それも家庭の雰囲気を悪くする原因になっていたのだろう。
夫婦共働きの状態は長く続き、夫婦はすれ違いを辿る一方になる。
結果、
母親は心の寂しさを埋めるためなのか不倫に走る。
そして、
それが父親にばれて家庭が崩壊するということになった。
母親の不倫がきっかけでこの家庭は崩壊したわけだけど、
この家庭はもうすでに崩壊していたんだと思う。
臨界点ギリギリで一応、家庭として存在していたんだと思う。
そのギリギリを保っていた状態で、
溢れてしまう出来事が何か起これば、そりゃあ、一気に溢れてしまう。
それが、母親の不倫だったのだ。
家庭崩壊後
家庭崩壊後、父親と僕は皆が生活していた家に残り2人暮らしの生活を始めた。
母親と妹は家を出て、同じ市内で別の家を借り2人暮らしを始めた。
姉は既に結婚をして家を出ていたのでそのまま変わらずの生活。
そして、その2年後僕は地元から距離を置くために東京へ。
以来、父親と母親とは会っていない。
もう、会う事もないが。
それと、妹とも会っていない。
姉とは何年か前に会って、時々連絡を交わすが事務的な連絡のみ。
家庭崩壊に伴いその時に感じたこと経験により価値観が大きく変わり
家族に対して何も感じなくなり特にこれといった繋がりを持とうという気がなくなってしまった。
似たような家庭は崩壊する
これまでに書いた僕の家庭と似たような家庭は崩壊する確率が高いといっていいと思う。
- 夫婦間の関係が冷めきっている。
- 夫婦喧嘩が絶えない。
- 母親が父親を嫌っている。
- 子供たちから父親が嫌われている。
- 家族団らんで過ごす事が無い。
- 家族の誰かが引きこもっている。
- 貧乏である。
- 共働き(母親が昼間と夜間働いている)
あくまで僕の家での例なので、これが全部当てはまったからと言っても家庭が崩壊しない家もあるだろう。
おじさんの言葉
母親の兄、つまりおじさんに、姉と僕が呼び出された事があった。
おじさんから、妹が迷惑をかけてこんな事になってしまってすまないと謝罪された。
その時におじさんに言われた言葉が印象に残っている。
『両親は家を作ったけど、家庭を作らなかったんだな』
家庭を作らなかった…。
夫婦というのは家を作るよりも、家庭を作らなければいけないのだろう。
もしかしたら、
家を建てずにあのまま団地住まいでも良かったのかもしれない、
家を建てなければお金にも余裕ができただろう。
家族がみんな若くて状況が違うけど、
団地に住んでいたあの頃は、まだなんだか上手くいっていた気がする。
狭くて自分の部屋が無いから、リビングにいる時間も多かったし
家族が顔を合わせる時間も多かった。
何をどう思ってもあの頃にはもう戻れない。
家族に対してもうなにも感情を抱かなくなっていたのに
この記事を書いていたら珍しく、
あの頃は良かったな、なんて感情が湧いてきた。