このブログ、人生のレールってどこにあるの?
を運営しているミッツです。(@mittsu_blog)
栃木県出身、1982年生まれの独身、男です。
プロフィールを書いて改めて自分の人生を見返してみると、
本当にドイヒー(ひどい)な人生だなって我ながら思った…。
僕のこれまでのしょーもない人生を紹介します。
僕のプロフィールを読めばあなたはきっと
生きる勇気が湧いてくるんじゃないかと思いますよ。
目次
高校卒業→人生のレールから脱線→レールを見失う人生がスタート
普通の人なら高校卒業後は就職するか大学や専門学校に進学するけど、
僕の高校卒業後の進路は、「自動車教習所に通う」でした。
でも、免許って重要だから取っとかないとさっ…。
両親の離婚により家庭崩壊→20代後半で上京
25歳の頃に両親が離婚して家庭が崩壊しました。
その後は、約2年間くらい父親と2人暮らしをするけど、
耐えられなくなり実家を出て上京することに。
この頃はとにかく両親と距離をとりたかった。
例え両親であっても自分の人生の足を引っ張る存在は
縁を切らないとダメだと思った。
それと、
この当時派遣社員で働いていたけど派遣切りに合い無職になったので、
栃木にいる意味も特になく変化を起こそうと上京をすることにした。
関連記事:上京したいと悩んでいる人へ、コレに当てはまれば上京した方が良いよ!
ともあれ、
車を買おうとして貯めていた貯金があったので
上京することができたので貯金しておいて本当によかった。
上京→コピーライターを目指すが挫折
27歳で上京後、すぐに興味を持っていたコピーライター養成講座に通った。
このとき、
「コピーライターって簡単そうな仕事だな~、オレでもできるでしょっ」
なんていうバカ過ぎる浅はかな考えでいたので、
コピーライターの世界の厳しい洗礼を受けることになる。
講座で仲良くなった仲間たちとコピーライターの賞に応募して
切磋琢磨しあうが自分だけ結果が出ない日々…。
劣等感から徐々にに熱意が冷めていき挫折…。
関連記事:宣伝会議コピーライター養成講座基礎コースに通った感想と通いたい人へのアドバイス。
職業訓練学校に通いwebクリエーターを目指すが挫折
32歳の頃に職業訓練学校に通いwebクリエーターを目指しました。
webクリエーターという響きのカッコ良さから興味をもったけど、
この頃の僕はパソコンのショートカットキーすらろくに知らないパソコン音痴でした…。
そんな状態だったので毎日居残りをして
なんとか勉強に食らいついていました。
ある時、テストがありクラス30人中、時間内に終わらなかった人が2名いたんですが、
1人は僕でもう1人はよくよく考えるとその日休んでいた人が1人いたので
実質できなかったのは僕だけというなんとも悲しい結果に…。
毎日居残りをして家でも勉強していたんですが、
ついていくことができなかった…。
自分の能力の低さを痛感した…。
コピーライターに続きwebクリエーターでも、
自分の能力の低さを痛感し挫折という結果に。
でもこのときの勉強がその後のブログ運営にメチャクチャ役に立っているので、
無駄ではなかったと感じてます。
仕事が決まらず友人に借金をして命を救われる
職業訓練学校を卒業後はなかなか仕事が決まらない日々が続きました。
貯金はどんどん減っていき、日々精神的に追いやられる毎日。
この頃を思い出すと本当にしんどくて今でも嫌な気持ちに襲われます。
仕事が決まらない焦りと貯金が無くなるという状況で、
精神的におかしくなり情緒が不安定になっていました。
、部屋に1人でいるのが嫌で街を意味なくフラフラしてた…。
ついに貯金が底をついてどうにもこうにもいかなくなった
僕をみかねて友人がお金を貸してくれたのでした。
僕は友人に命を救われました。
友人がいなかったら僕は今頃どうなっていたのか分かりません。
多分死んでた。
借金の総額は全部で60万円にまでになりました。
普通に考えて1人の友人に60万円なんて大金借りれないですし、
いくら仲が良い友人でも貸さないです。
友人は僕に対して一度も「早くお金を返して」と言ったことがないです。
「いつでもいいよ、返せるときで」と、言います。
お金を全額返すことはもちろんのこと、
僕は友人にそれ以上のことをいつか返したいと思っています。
関連記事:友達に60万円の借金をした話。僕は友達に命を救われた、人生を救われた。
やっと決まった仕事でパワハラにあい精神を病む
友人にお金を借り命を救われなんとか派遣社員で仕事が決まりました。
ですがそのやっと決まった仕事でパワハラにあう羽目になりました。
どうしても苦手な社員の人がいて
その人に怯えながら毎日を過ごしていました。
結果的にこの会社には10ヶ月間勤めたけど毎日を、
今日だけなんとかやり過ごせ
今日だけなんとかやり過ごせ
と、自分をごまかしてなんとかやり過ごしていました。
それでも限界がきてしまい派遣会社の担当者に
パワハラのことを相談して違う仕事を紹介してもらい
その後勤めた職場でようやく落ち着いた生活を送ることができるようになりました。
関連記事:【転職】「どこの会社に行っても同じだよ」なんてウソ、会社が変われば人も環境も変わる。
35歳で難病になる
35歳のとき潰瘍性大腸炎という難病指定されている病気になってしまいした。
現代の医学では治せない病気で現在は漢方で症状を抑えています。
この病気は難病とされているくらいなので、
その原因が現在でも不明とされています。
症状をざっと説明すると突発的な便意が頻繁に襲ってきて、
我慢をすることができないというとても辛い病気です。
この病気のことを調べると病気になった人の多くが
ストレスが原因だと述べています。
仕事が決まらなかった時期や仕事が決まってからパワハラにあっていた時期
などのストレスで身体が限界を超えて壊れてしまったのだろうなと感じます。
心が壊れると身体が壊れるのだなと、このとき学びました。
関連記事:潰瘍性大腸炎の辛さを伝えたい、失ったものできないことがたくさんある。
ブログに本腰を入れるようになる
32歳の頃にブログの存在を知り取り組み始めるけど、
何度も途中で止めては新しいブログを立ち上げたりして現在のブログ
までに約4回~5回くらいやり直してます。
そして現在のこのブログ、人生のレールってどこにあるの?
を2019年2月にスタートしました。
ブログで生活ができるようになろうと本腰を入れ始めました。
本腰を入れるために、このままじゃアカン!!
とコワーキングスペースに通うようになりました。
ほんと家ってなんにもできないのよね
ブログのデータは、
運営約2年間で月間のPVは約1万PV
最高月収は約2万円と、
他のブロガーと比べてもメチャクチャ鈍足です。
超鈍足ではあるけど、
1つだけ決めてることがあって、
それは、
ブログをやめないってこと。
これだけ守ってこれまでなんとかやってきました。
そんなわけで超鈍足な僕ですがこれからもたった1つ自分に課したルール
やめないってことを守ってブログに取り組んでいきます。
趣味、性格
趣味・好きなもの
- 犬、猫、動物のユーチューブを見る
- 食べ放題
- 甘党
- バイクを少々
- MARVEL
- 音楽(ギターを少々)
性格
- 大人しく素直に思われがちだが実のところひねくれねじ曲がっているよ。
- 大勢の飲み会が嫌い
- 人と仲良くなるのに時間がかかる
- HSPである(詳しくはこちらの記事で)
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